麦島侑「2年目の」
2013年4月 6日 18:42
ジンクスとは無関係、
ミスター2度あることは3度あるでおなじみの麦島侑です。
社会人、そしてアナウンサーという職業について1年が経ちました。
この1年は夢中でした。
短い人生の中ですが初めてボロボロになっても前向きに出来ているかもしれません。
去年までは緊張の毎日。
朝起きた瞬間から不安に襲わていました。
お腹から声出すって何?
記事の内容を把握して、いざニュースに出てみても途中でよく分からなくなる。
そして普段言える言葉がちゃんと言えない。
失敗ばかりを繰り返していました。
麦島はダメ。そんな言葉が聞こえてくる毎日(今は週2程度)で会社で笑う事すら出来ずにいました。
昔からやって出来ない事なんてないと思って過ごしてきた私ですが、あまりに駄目だったので努力しても出来ないかもしれないと思っていました。
こんな弱気な私を変えてくれたのは
こんな弱気な私を変えてくれたのは
60時間ラジオで任された60時間ウォークです。
不安だらけの中、同期の小林君と3日間県内を歩きました。
ここで3日間歩いて感じたこと事。
それはBSNは多くの新潟の人に愛されているという事です。
先輩達が作り上げた物の大きさに触れました
最も感じたのは、道中、寒くて全身の震えが止まらない中で
不安だらけの中、同期の小林君と3日間県内を歩きました。
ここで3日間歩いて感じたこと事。
それはBSNは多くの新潟の人に愛されているという事です。
先輩達が作り上げた物の大きさに触れました
最も感じたのは、道中、寒くて全身の震えが止まらない中で
出会った人の言葉と手の温かみです。
これは、本当に嬉しかったです。
この時に思ったんです。
この時に思ったんです。
今までなんて自分勝手な仕事をしてたんだろうって。
ニュースにしろ何にしろお前は誰に向けて放送してるのか?
この温かい人達に向けてじゃないのかって?
会社で怒られたくないと肩肘張っていた自分がとても格好悪くて恥ずかしくなりました。
この温かい人達に向けてじゃないのかって?
会社で怒られたくないと肩肘張っていた自分がとても格好悪くて恥ずかしくなりました。
そこからです。少しずつですが仕事をする時に工夫しようとし始めたのは。(もっと早くからそうしろと言われそうですが)
今でも落ち込んだ時は60時間ウォークで歩いた時に出会った人の事を思い出します。
高田公園でスタートを応援してくれた2組の夫婦
飲みきれない位の栄養ドリンクをくれたおかあさん
手編みのマフラーを会社に送ってくれたお姉さん
大きいトラックの中から「頑張れー」って言ってくれたお兄さん
そして皆さんが県民会館で温かく迎えてくれた時の光景。
私はこの人達の生活が新潟放送のテレビやラジオで
今でも落ち込んだ時は60時間ウォークで歩いた時に出会った人の事を思い出します。
高田公園でスタートを応援してくれた2組の夫婦
飲みきれない位の栄養ドリンクをくれたおかあさん
手編みのマフラーを会社に送ってくれたお姉さん
大きいトラックの中から「頑張れー」って言ってくれたお兄さん
そして皆さんが県民会館で温かく迎えてくれた時の光景。
私はこの人達の生活が新潟放送のテレビやラジオで
気持ち良くなる様に努めなければと思いました。
今月から二年目。
今月から二年目。
私は未だトホホなアナウンサーですが、皆さんに成長した所を見せられる様に精進します。
毎日の悔しい気持ちをバネにして、また1年頑張りますので、これからも宜しくお願いします。
毎日の悔しい気持ちをバネにして、また1年頑張りますので、これからも宜しくお願いします。
- 前の記事 近藤丈靖「フェイスブックスタート」
- 次の記事 麦島侑「春くる~」