工藤 淳之介「刀鍛冶の金言を灯火に」
2016年7月13日 23:05
きょう、ゆうなび内で放送した新潟プライド、
ご覧頂けたでしょうか?
刈羽村で日本刀を打ち続けて50年、
刀鍛冶の山上重則さんを取材しました。
1300度の炎を自在に操り、
鉄の塊を一振りの刀に変えていく様は、まさに真剣勝負。
一方で、高価な美術品である日本刀の注文は
景気によって左右されるため、バブルの頃に比べ、注文は激減しています。
「刀剣女子」など日本刀ブームが起きる中でも
若い刀鍛冶は刀の仕事だけでは食べていくことができない
厳しい現状も伝えました。
そんな中で、番組内の限られた時間の中で
放送できたもの、できなかったものを含め、
特に印象的だった山上さんが紡いだ言葉です。
いくつか記します。
「刀鍛冶もだけど、遊びだってそう。やれば奥が深い。だから面白い」
「最初は思い通りに作ろうと思って、できるようになると、
自然なものを求めるようになる」
「例えば入道雲を見ると、こんな刀紋が出ないかと思う。
(50年打っても)今も刃紋との出会いを求めている」
「良いものができたと思っても、次作るときは、それ(前回作)が最低。きりがない」
刀作りの道を究めてきた山上さん。
何気ないお話しの中のひとこと一言が、胸に響くものでした。
高校生のころ、私が「絶対にアナウンサーになる!」と決意した理由。
放送の世界で世のため人のために働きたい。
テレビが好きだし、人と話すことも好き。
…などが挙げられますが、
もう1つ、
正解がない、一生をかけて、どこまでも追い求められる職に就きたいという思いでした。
なれるものならば
小説家や、芸術家、役者、スポーツ選手…
表現や鍛練を通してとことんその道を追求できる、
10代の私が憧れた職業は様々あったのですが、
その中で、「私でもなんとかやっていけるのでは」と感じたのが
話す、伝える職人・アナウンサーでした。
もしかしたら今回の取材で
その頃の気持ち・初心を思い出せるかも…
企画・立案した時点で生じていた淡い期待は
取材、放送を終えて現実のものとなりました。
山上さん、ありがとうございます。
ただし、50年以上とことん究めてきた山上さんの言葉です。
おそらく私は、まだ完全に理解することはできていないのかもしれません。
何年も、何十年も、努力を重ねて考え続ければ、
いつか山上さんがくださった言葉を
もっとはっきりと自分の中で消化できる日が来るのでしょうか。
まだゴールは見えませんが
また1つ、人生の道標となる経験をできた気がします。
やっぱり1度きりの人生、
アナウンサーになって良かったし、この道を探究していきたい―
そんな初心を確認できた取材でした。
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