工藤 淳之介

工藤 淳之介「刀鍛冶の金言を灯火に」

きょう、ゆうなび内で放送した新潟プライド、

ご覧頂けたでしょうか?

jk-katana1.JPG

刈羽村で日本刀を打ち続けて50年、

刀鍛冶の山上重則さんを取材しました。

jk-katana2.JPG

 

1300度の炎を自在に操り、

鉄の塊を一振りの刀に変えていく様は、まさに真剣勝負。

 

一方で、高価な美術品である日本刀の注文は

景気によって左右されるため、バブルの頃に比べ、注文は激減しています。

jk-katana3.JPG

「刀剣女子」など日本刀ブームが起きる中でも

若い刀鍛冶は刀の仕事だけでは食べていくことができない

厳しい現状も伝えました。

 

 

そんな中で、番組内の限られた時間の中で

放送できたもの、できなかったものを含め、

特に印象的だった山上さんが紡いだ言葉です。

いくつか記します。

 

「刀鍛冶もだけど、遊びだってそう。やれば奥が深い。だから面白い」

 

「最初は思い通りに作ろうと思って、できるようになると、

                        自然なものを求めるようになる」

 

「例えば入道雲を見ると、こんな刀紋が出ないかと思う。

                     (50年打っても)今も刃紋との出会いを求めている」

 

「良いものができたと思っても、次作るときは、それ(前回作)が最低。きりがない」

 

jk-katana4.JPG

刀作りの道を究めてきた山上さん。

jk-katana5.JPG

 

何気ないお話しの中のひとこと一言が、胸に響くものでした。

jk-katana6.JPG

 

高校生のころ、私が「絶対にアナウンサーになる!」と決意した理由。

放送の世界で世のため人のために働きたい。

テレビが好きだし、人と話すことも好き。

…などが挙げられますが、

もう1つ、

正解がない、一生をかけて、どこまでも追い求められる職に就きたいという思いでした。

 

なれるものならば

小説家や、芸術家、役者、スポーツ選手…

表現や鍛練を通してとことんその道を追求できる、

10代の私が憧れた職業は様々あったのですが、

その中で、「私でもなんとかやっていけるのでは」と感じたのが

話す、伝える職人・アナウンサーでした。

 

 

もしかしたら今回の取材で

その頃の気持ち・初心を思い出せるかも…

企画・立案した時点で生じていた淡い期待は

取材、放送を終えて現実のものとなりました。

 

山上さん、ありがとうございます。

 

ただし、50年以上とことん究めてきた山上さんの言葉です。

おそらく私は、まだ完全に理解することはできていないのかもしれません。

 

何年も、何十年も、努力を重ねて考え続ければ、

いつか山上さんがくださった言葉を

もっとはっきりと自分の中で消化できる日が来るのでしょうか。

 

まだゴールは見えませんが

また1つ、人生の道標となる経験をできた気がします。

やっぱり1度きりの人生、

アナウンサーになって良かったし、この道を探究していきたい―

そんな初心を確認できた取材でした。

この記事をシェアする

  • URLをコピーしました!